古い話で恐縮ですが、私が20代前半の頃(私は1965年の生まれなので、20代と言えば概ね1985年以降の事です)、何かの雑誌に「ビートルズには遅すぎて、コンピューターには早すぎた世代」と我々の年代を揶揄しだコピーが載っていたのを覚えています。
どこの誰が言った言葉なのか今となっては分かりませんが、ずいぶんと可哀相がられてしまったその言い回しに、私は「まあそんなものかな、うまいことを言う人がいるものだなあ」などと思って妙に納得していたものでした。
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ビートルズファンの方々にはたいへん失礼なのを承知で書けば、その当時すでにありとあらゆるロック・ポップの形態が確立し乱立していた80年代、あまりにシンプルな4人編成のロックバンドの音は、私にはなんとも貧弱で刺激に乏しく感じられてしまい興味を持つことができませんでした。熱狂のあまり気を失っている当時の映像などを見た時には不思議で仕方なかったくらいです。
一方その当時のコンピューターといえば、家庭用のパソコン等というものはまだまだ先の話で、未来を扱ったSF映画の中で、「宇宙船を操作する声だけの存在」や、「ロボットの中に組み込まれたロボットを操る機械」、まあそんな程度の認識でしかありませんでした。
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コンピューターなどといった物をいったい何に使っていくのか、そして、そんな難解な物をいったい誰が扱っていくのか、それらをひとまとめにして次の世代の人間達に託すしかないくらいに思われていた頃だったともいえるのでしょう。
90年代の後半あたりからは、皆さんもご承知のように「コンピューターには早すぎた世代」という言葉は、どうやらすっかり当てはまらなくなってしまったようです。
ものすごいスピードでコンピューターが我々に近づき、あっという間に大津波のように誰かれ構わずひとまとめに飲み込んでいったという感じではないでしょうか。
「ビートルズには遅すぎて、コンピューターには早すぎた世代」と投げかけた方も、そして世の中のほとんどの人たちが、コンピュターとインターネットが生活の中心となる世の中が来るとは想像もしえなかったのではないでしょうか。僕自身、まだアイコンで操作するような概念もなかった頃の、白黒テレビの画面の中でわけの分からない幾何学模様を操るようないイメージしかないコンピューターと呼ばれる機械を、きっと一生扱う事はないだろうと思っていたくらいでした。
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しかし、どうでしょう、今ではパソコンと、そしてインターネットと出会えたことで今日の自分があるといっても過言ではない生活を送っています。振り返ってみるとそんな自分がふと信じられなかったりもします。
独立願望が強かった私が25年にも及ぶサラリーマンの世界から抜け出せたのは、紛れもなくこのパソコンとの出会いであり、インターネット社会にはもはや感謝しかありません。「コンピューターには早すぎた世代」でなく、「コンピュータに追いつかれた世代」でつくづく良かったと今考えているのです。
最後まで私の駄文にお付き合いいただき本当にありがとうございます。どう感謝したらいいか言い尽くせません。これからも頑張ってたくさんの文章を書き続けていきます。きっと何かしら興味を抱いていただけることもあるはずです。またお読みいただけるご縁があることを切に願っています。
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