50才という大きな節目
私は50才を過ぎていますが、未だ現役のバドミントン選手です。
もちろんアマチュアスポーツですので、現役という言葉も、選手という言葉も今一つフィットしないかもしれませんが、週に1,2回のバドミントン練習を継続的に続けていて、定期的に試合にも出場、2016年、2017年と全日本シニアバドミントン選手権大会には東京都の代表選手として出場しました。
前記事「51歳ですがバドミントンやってます。高橋、松友のような金メダルは無理ですが」
こうして仰々しく書くと、もの凄い人のように思われるかもしれませんが、バドミントンのプレーは実に三流、もちろん試合は全力でぶつかりはしますが、まあ実際のところ、1度か2度勝たせて貰えればまあまあといった結果です。
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予備タン全開
50才を過ぎてからのスポーツは、何の競技でもそうでしょうが、もはや衰えとの戦いです。
若い頃、あの体中にマグマのように満ち溢れていたエネルギーは既に燃えカス状態、今では予備タンクの栓を捻って、なけなしの燃料を抽出して点火しなければなりません。
これが体力的だけの問題ならまだいいのですが、気力、モチベーションといったものも紛れもなく衰退しています。実はこのモチベーションを維持するのが、今の私にとって結構大変な作業なんですね。
放出より充電
20代の頃は週に2,3回のバドミントンの練習に、その他の時間をウエイトトレーニングや、ランニングなどに充てて日夜練習に励んでいました。
筋肉も漲り、もちろん気力が衰えるようなことはなかったと思います。戦うことに関するモチベーションも枯れることない源泉のように湧いていましたよ、沸々と。それは言わば、元々の闘争本能のようなもので、ドラゴンボールで言えば、戦闘民族サイヤ人の習性のような具合です。
ところが50才を過ぎた今、とてもではないですが詰め込んでいくようなハードな練習はできません。個人差ももちろん大きいとは思いますが、今の私は徹底的な準備と回復がなにより最優先です。
こちらの本でスキージャンプのレジェンド葛西選手が、アスリートとしての加齢に対する取り組みを紹介しています。「筋力」よりも「柔軟性」と解説しています。実に参考になりました。
衰えてゆく筋力
今の私は衰えていく筋肉との戦いです。
筋肉の衰退スピードを極力遅くする、可能な限り今ある筋肉を維持するトレーニングの時間が何より大切です。そして、それらがすべて整ったうえで、その後に貴重なバドミントンの時間があるわけです。
そうなると、もはやバドミントンができるのは週1回がやっと、怪我をせず長く続け、出来るだけ現在のレベルを維持するためには、適切なトレーニングと圧倒的な休養時間を必要としているのが現状です。
筋肉の衰えは自分で想像する以上のスピードです。一度落としてしまった筋力を、年齢を重ねてから取り戻すのは至難の業です。
私の周りの50,60代の仲間達には、怪我で継続してバドミントンができなくなってしまう人達が大勢います。気力の衰えや仕事との兼ね合いなどで辞めてしまう人達ももちろんいますし、こちらはどちらかといえば自然なことかもしれません。でも、競技を続けたいのに怪我が原因で続けられなくなってしまうのは何とも悲しいことですね。
加齢に伴う筋力の維持
競技の負荷が大きいことはもちろんですが、まずはバドミントンができる、競技を続けられる体がないと、20代、30代の頃のようにスポーツを楽しむことは難しいのが実情です。
実生活でも、ある程度の年齢を過ぎた時、肉体的労働をほとんど伴わずに仕事や普段の生活をしている方は、絶対的に筋力トレーニングは必要だと感じます。
バドミントン競技のような強い負荷を必要としなくても、50才を過ぎて何もしないでいれば、目の前の階段が登れなくなるような日ももう間近なのではないでしょうか?
私は日々バドミントを続けながら、常に筋肉を意識しているのでそれがよくわかります。
最近では正直バドミントンの練習に行く前はいつもこうです。「ああ、このままテレビの前で横になって、今日を終わりに出来たらどんなに楽だろうなあ」と。そんな思いに根強く後ろ髪を引かれながら、自転車を漕いで練習へと出かけています。
没頭できる趣味の存在に感謝
ただ、練習の帰り道には、もはやそんな気持ちは微塵もなく、ゲームで負けが多かったときは悔しがりながら、勝ちが優勢だった時には喜びながら帰途につき、心身ともにリフレッシュ、完全にリセットできたことで、また明日からの仕事への意欲も高められます。
以前にも書きましたが、私のモットーは仕事と趣味の両輪での全力疾走です。
過去記事「人生を両輪で駆け抜けろ、仕事とバドミントンの全力疾走」
仕事だけ一生懸命もだめだし、遊びだけでも、ですよね。
私は本当に厳しい超零細企業を経営する中で、バドミントンのゲーム中だけが、その苦しい思考から解放される唯一の時間のような気がします。
勝った、負けたと、結局は他愛無いゲームの中で、すべてを忘れて没頭できる瞬間は、私にとってこの上なく有意義で貴重な時間です。
正直バドミントンでの疲れがたまり、体のあちらこちらが痛んでいます。いったいいつまでこの競技を続けられるのかは皆目見当もつきませんが、私はこの競技、こんな素晴らしい趣味と出会えたことに、本当に感謝の念以外には何も思い当りません。
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